宇宙エレベータ構想は日本を含め欧米でも研究されています。
軌道エレベータと呼ぶ方が一般的かもしれません。
高度36,000kmの静止軌道から紐を地上まで下ろし、紐を伝って往復することで「安全」に「低コスト」で往復できるという構想です。
しかし実現するための「紐」が問題でした。
古くは旧ソビエトの科学者、ロケットの父「ツィオルコフスキー」が1895年に著書の中で記述しているそうです。
「2001年宇宙の旅」の作者「アーサー・C・クラーク」も自著「楽園の泉」(1979年刊行)で記述しています。
空想の域を脱し得なかった構想でしたが、問題の「紐」の候補が現れます。
1982年「グラファイト・ウィスカー」、1991年「カーボンナノチューブ」の発見です。
これにより実用可能性が議論・研究されるようになりました。
さて、実現可能性が出てきたとはいえ、まだまだ。
全米宇宙協会などは2031年開通を目指しているそうですが、人や物資が安全に往復できるようになるのはもっともっと先のことになるでしょう。
本題はここからです(^^;
青木義男という人がいます。
日本大学理工学部の教授です。
青木さんは昇降機や遊戯機の安全性に関する専門家で、エレベータや遊園地の遊具などで事故があると国から依頼され調査報告するような立場の人です。
この青木さんが日本における「宇宙エレベータ」研究の中心になっています。
3年前に「宇宙エレベータ」を知った時は、「通常のエレベータでさえ安全を確保し続けることが困難であるのに、それを宇宙まで行かすなどとんでもない」と、エレベータの専門家として思ったそうです。
青木さんを突き動かしたのは「挑戦」「チャレンジ」でした。
初めて参加した宇宙エレベータのシンポジウムで「人類の壮大な目標」と聞いて、やってみたいと思ったそうです。
ーー困難だからこそ挑戦する価値がある。
ここまで読んでくださった方はどう思われたでしょうか?
荒唐無稽な話...という印象を持って当然です。
しかし、その青木さんが宇宙エレベータの研究に関してこんなことを言っています。
ーー100年先の技術だから100年後にやればいいという話ではない。
人はつい問題を先送りし、目の前の事柄だけで日々を過ごしてしまいがちですが、青木さんのこの言葉は、
今できることをやる。
そうでなければ後に得られるはずだったものも得られない。
と教えてくれます。
※2011年12月24日にEテレで放送された「クリスマス・レクチャー」でも「宇宙エレベータ」「カーボンナノチューブ」の話がありました。
エレベーターで「2050年宇宙の旅」
https://www.tel.co.jp/museum/magazine/spacedev/130603_topics_07/